こんぴら歌舞伎のまちづくり
1.jpg1 テレビ番組
 “こんぴらさん”で有名な、四国は香川県琴平町にある、国指定重要文化財「旧金毘羅大芝居(通称:金丸座)」は、「四国こんぴら歌舞伎大芝居」の復活により、全国から熱い注目を浴び、四国路の春を告げる風物詩として昭和60年から毎年行われ、今年の4月公演で第17回を迎えた。
 昭和59年6月中旬、梅雨雲が金刀比羅宮の鎮座する象頭山にかかる季節に、1本の電話が鳴った。電話は東京からで「テレビ番組を旧金毘羅大芝居で撮影したいので、打ち合わせに来町したい」とのこと。旧金毘羅大芝居は魅力ある芝居小屋でありながら、今まで観光の町「琴平」の観光資源として、華やかな舞台に立つこともなく埋もれていたので、この依頼はテレビというメディアを通じて少しでも多くの人に、旧金毘羅大芝居をピーアールする絶好の機会でもあった。数日後、打ち合わせにきた担当者は、歌舞伎俳優、中村吉右衛門丈・澤村藤十郎丈・中村勘九郎丈出演番組「すばらしき仲間」を製作するとのことで、全国の人々に旧金毘羅大芝居を見ていただける期待に胸を弾ませた。
蝉時雨が降る、昭和59年7月5日、6日の2日間、旧金毘羅大芝居で撮影が行われ、歌舞伎俳優中村吉右衛門丈、澤村藤十郎丈、中村勘九郎丈の今をときめく江戸歌舞伎の人気役者に多くのスタッフが加わり、熱気と暑さの中でライトの光を浴びながら、汗をかきかき撮影したのが、ごく最近のことのように懐かしく思われる。
2.jpg2 金毘羅大芝居の復元
   天保6年(1835年)に建てられた金毘羅大芝居は、現存する芝居小屋としては日本最古のものである。建設以前は、その都度仮小屋建てて芝居を行っていたが、費用がかかるので、芝居の常小屋と富くじ(宝くじ)の開札場(抽選会場)を兼ね、当時の大阪の大西芝居を模して千両で建設させたのが金毘羅大芝居である。
 江戸時代より、私たちの町は“さぬきのこんぴらさん”として親しまれ、庶民信仰のメッカとして伊勢参りと並び、全国から多くの善男善女の参拝で賑わいをみせてきた。参拝客は長い石段を登り、“こんぴらさん”に参拝し、長旅の疲れを待ちの旅籠(旅館)でいやした。娯楽の少ない当時、3月、6月、10月と年3回、市が開かれ、芝居、相撲、操り人形などの興行が多くの人を楽しませた。娯楽のひとつとして、金毘羅大芝居で芝居見物は最たるものであった。小屋の木戸をくぐり、“お茶子さん(小屋の案内係)”の案内で桝席(ますせき)に座り、千両役者の舞台が見られる一時が、いかに楽しいものであったかは想像以上のものであったに違いない。
 当時、金毘羅大芝居は芝居小屋の規模としては、江戸、大阪、京都の大都市にある小屋に匹敵するものであり、東西の名優たちは、こぞって四国にある金毘羅大芝居の桧舞台を踏んだという。このことは、いかに“こんぴら”が門前町として栄え、金毘羅大芝居が全国有数の芝居小屋として、その菜をとどろかせてたかということを物語っている。
 その後、時代は移り変わり、金毘羅大芝居は映画館として転身した。そして映画もテレビの普及に押され、やがて廃館となり、長い間荒廃していたのに気付かなかった。建物の傷みは厳しく、瓦は落ち、壁は崩れ、落下寸前のところまできていた。しかしながら、建設後、約160年の風雪に耐え、火災に遭うこともなく今日まで生き残ってきたことは奇跡としか言いようがない。
 日本最古のこの芝居小屋を後世に残すべきだと、昭和30年頃より、郷土史家など金毘羅大芝居を愛してやまない人々の熱心な復元運動が始まり、昭和45年6月17日、芝居小屋として初めて国の重要文化財に指定されたのを契機として、復元の道を歩んでいく。昭和47年から約4年間の工事期間と2億数千万の工事費をかけて、昭和51年4月27日、天保の姿をそのまま見事に現在地に移築復元されたのである。